教科書も有料だった。3人兄弟が当たり前だった昭和の「育児」とその「代償」

★羨ましい?それとも当然?激変した子育て支援

前回、2026年4月から始まった「子ども・子育て支援金制度」についてお話ししました。

※前回のnote

https://note.com/embed/notes/n013bfbf065e6

今回はその続きです。

私は60歳を超えています。

だからこそあえて言わせてください。

現在、国が進めている子育て支援策は、私の世代から見れば正直「羨ましい限り」なのです。

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こう言うと、現役世代の方々からお叱りを受けるかもしれません。

しかし、昭和の時代、教育費や育児費用は「親が負担して当然」という考えが主流でした。

今のような支援を求めようものなら「甘えるな」と言われてしまう、そんな空気が支配していたのです。

★「無償化」なんて夢のまた夢だったあの頃

当時の環境がいかに厳しかったか、少し振り返ってみましょう。

義務教育は戦後すぐに無償化されましたが、実は教科書が無償になったのは1963年のこと。

当時の「教育の無償化」は、あくまで入学金と授業料のみを指していました。

高校も当然、当時は有料でした。

それが2026年現在、公立は実質0円、私立も年45万7,200円を上限に無償化の枠組みがあります。

児童手当も1972年の創設時は「第3子以降のみ」で所得制限もありました。

1961年開始の児童扶養手当も同様です。保育施設は少なく、保育料の負担も重かった。

今は、出産から大学卒業まで、断続的ではあるものの「無償化」のレールが敷かれつつあります。

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もちろん、だからといって「今の育児が楽だ」と言うつもりはありません。

★なぜ支援なしで「多人数」を育てられたのか

では、なぜあんなに不便だった昭和に、多くの家庭が3人以上の子供を育てられたのでしょうか。

そこには現代とは決定的に違う「社会構造」と「価値観」がありました。

当時は「三世代同居」や「濃密な近所付き合い」が当たり前。

共働きでも祖父母が孫の面倒を見るバックアップ体制がありました。

空き地では異年齢の子供たちが群れて遊び、上の子が下の子の面倒を見る。

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親がつきっきりで見守る必要がなかったのです。

また、子供一人への「教育投資額」も今よりずっと小さかった。

塾に通うのは一部で、全員が大学へ行くことなど想定していませんでした。

何より、右肩上がりの経済への信頼がありました。

終身雇用という安心感もあった。

だからこそ、未来に希望が持てたのです。

★ 昭和回帰は「NO」。失った基盤は「制度」で補うしかない

ここまで書くと昭和を礼賛しているように見えるかもしれません。

しかし、そうではありません。

あの時代に戻りたいかと聞かれれば、私は、即座に「NO」と答えます。

学校では先生に殴られました。

受験地獄も凄まじかった。

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終身雇用は「一生奴隷制度」の裏返しでもあり、残業は常態化。

公害もひどく、喘息持ちの私には厳しい環境でした。

野犬に追いかけられ、冬は隙間風に震え、トイレは暗くて怖かった。

彼女の家に電話をすれば、お父さんが出てしまい緊張でしどろもどろ……。

そんな不便な時代に、もう戻りたくはありません。

失われた地域のつながりや社会基盤を、今さら元に戻すことは不可能です。

だからこそ、かつての「地域の見守り」や「精神的ゆとり」を、今は「公的制度」という形で代替していくしかないのです。

若い方々にとって、今がベストな社会だとは思いません。

しかし、いつの時代にもその時なりの課題があります。

どうか、目の前にある公的な支援を賢く利用してください。

その知恵と工夫こそが、これからの時代の「資産形成」における最強の武器になるはずです。

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