資産形成と教師としての実力の関連性

教師の授業と資産形成は車の両輪

本日は、資産形成、
そしてセカンドキャリアと教師の実力の
関連性についてお話しします。

私は、拙著「教師よ資産をふやせ!」で、
資産形成を進め、セカンドキャリアを
充実させることと、教師としての力量を高めることは、同時に進めなくてはならない。

二つは車の両輪のようなものであると、
強調しています。

どちらかが欠けていても
「幸せなゴール」にはたどり着けないと考えているのです。

いい教師になるための努力の方法がわかり、
それを実行できる意志がなければ、
資産形成にも、そしてセカンドキャリアでも苦戦するんですよ。

教師成長と資産形成には相関関係あり

私は現在60歳ですが、今まで、教師を退職し、
セカンドキャリアに挑戦する人を多く見てきました。

データがあるわけではないので
限りなく私の印象論ですが、

教師としての実力、または学ぶ姿勢と、
資産形成、セカンドキャリアの成功とは相関性があると思っています。

教師としてのバイタリティーがあり、
たえず学び続けていた人は、
やはり資産形成もセカンドキャリアにおいても、
同じレベルの情熱で取り組んでいて、結果的に成功しています。

私は、教師としての実力という点では、
平均点レベルでしかなかったかもしれません。

ただ、自分の足りなさを補うための
学びに対する貪欲さは、かなりものだったと自負しています。

そして、その学ぶ意欲、継続力は、
フリーになった今に生きています。

わかった。

とにかく、さっさと教師としての実力、
指導力を伸ばす方法を教えてくれ、と思っていますよね。

でも、教師の指導力向上の
具体的な方法について書かれている本は書店にいくらでもあります。

また、今の時代、ネットで探せば、いくらでも情報は得られます。

なので、このことについて深堀はしません。

その代わり、あまり語られていない、教師成長に係る「不都合な真実」についてお話しします。

ベテラン教師とは

教師は採用された当初こそ、
教材研究をしたり本を読んだりしながら必死に努力します。

しかし、何年か経験し仕事に慣れてくると、
必死にならなくてもなんとかこなせるようになってきます。

そこが分かれ道です。

「これでいいや」と思ったところから成長は停滞します。

成長が停滞するだけならまだしも、
次第に教師としての力は低下してくるのです。

もちろん経験値が高い分、また、
多くの修羅場をかいくぐってきた分、
職場内での発言には重みが出てきます。

また、後輩に対する助言の多くは的確で、
職場内で「ベテラン」としての存在感は増してきます。

 しかし、そういったベテラン教師でも、
努力が継続できなければ、
教師としての指導力は落ちていくのです。

先生方はあまりそのことを、認識できていません。

事例1~学びのない組織にいると~

たとえば、私が指導主事のころ、
ある中学校で初任者の研究授業を見たのですが、
全身に戦慄が走るほど感動したことがありました。

子どもたちに安心感を持たせるやわらかい表情。

子どもたちの正当論を揺さぶる洗練された発問。

1年目だとは思えないその風格と将来性に、妬みすら感じました。

ところが、ある機会に、
その先生の授業を10年ぶりに
参観させていただいた時にショックを受けました。

もう、あの初任者のころのような溌剌さはなくなり、
授業も生徒がどんよりとするような、
単調なものになってしまっていました。

聞くところによると、
あまり研究に熱の入らない学校に勤めていて、
刺激がない10年間を過ごしてしまったとのことでした。

10年という月日は人を変えてしまいます。

とくに、どのような組織で過ごしたかは大きいのです。

組織のせいにはしたくありませんが、
良くも悪くも、人は組織の雰囲気に影響されるのです。

学ぶことはかっこいい!
と考える組織の雰囲気の中では、人は自然に学ぶようになり成長します。

「なにまじめに授業論語ってんだよ」
なんて揶揄されるような組織に属していると、
次第に学ぶ意欲は減退していくのです。

事例2~人は変われる~

別の事例ですが、
これも私が指導主事をしている時のことです。

ある小学校に臨時的任用職員として勤めている先生がいました。

校長先生に「授業を見てくれと」とお願いされ、
授業を見に行きました。

いやあ、悲惨でした。

典型的な「学級崩壊」でした。

だれも授業を聞かない。

小学生にして、先生に対してため口。

私が授業を見にきていていることを知っていても、やりたい放題。

すでに不登校になってしまった子どもも数人いて、学級としては末期症状。

授業終了後、私はこの先生に聞きました。

私「夜眠れている?」

先生「ときどき眠れません」

私「お休みすることは可能だよ」

先生「みんなに迷惑をかけちゃいます」

私「そんなことないよ。だれだって苦しい時はあるよ。
休んでもあなたの履歴にキズはつかないから、安心して休みなさい」

そう私に言われて、ほっとしたのか、
泣き出して、

「ありがとうございます」と細い声でつぶやきました。

臨任教諭に休みなんてありません。

事実上の途中退職となりました。

その後その学級には
ベテランの臨任教諭が配置され、
ものの一週間で平静を取り戻しました。

それから、数年後、
ある学校を訪問して全教室を回りましたが、
一つの学級だけ、とくに光るものを感じたのです。

子どもたちが生き生きと発言し、
言いたいことを言っても、
互いを支え合う雰囲気があり、何のわだかまりも残りません。

素晴らしい学級経営。

それが、あの「学級崩壊」の先生だったのです。

涙が出そうになりました。

彼は、あの後、再起を誓い、
教員試験にも合格し、とにかく徹底的に学び続けたといいます。

「人は変われる!」そう思わせてくれた先生でした。

教師はアスリート

教師は、ある意味アスリートと同じ、というのが私の持論です。

トレーニングを怠ると、
実力を伸ばすどころか維持することも難しいのです。

スポーツ選手は数値が
指標として機能しているので、自身の力の低下を認識できます。

しかし、教師はその力を測る指標がない上に、
長い時間をかけて変化するため、力の低下にも気づきにくいのです。

もし経験の長さだけが、
実力と相関するというのなら、40代、50代の教師が学級を荒れさせたり、
「あの先生の授業は眠くなる」なんてことを生徒から言われたりすることはないはずです。

ですので、校長時代には職員に対して
「学び続けることの大切さ」を繰り返し語っていました。

ただ、学び続けることは簡単ではありません。

では、どうすればいいのか。

今後のメールで、そのことについて、定期的に情報を提供していきます。

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